2b2tの歴史The Autumn Drain編④「転機」 #マイクラ #歴史

2b2tの歴史The Autumn Drain編④「転機」 #マイクラ #歴史

2b2tは、2010年末に開始されたMinecraftのサーバーであり、もともとは2builders2toolsという名前で知られていました。このサーバーは、建築や探索を主目的としたサーバーではなく、荒らしや破壊を楽しむことができる「アナーキーサーバー」として運営されていました。

その後、2011年に、当時はまだ小さなコミュニティであった2b2tが、最初の大きな転換点を迎えました。当時のオーナーであった”Housemaster”は、サーバーを手放すことを決め、当時まだ2b2tに参加していなかった”fit”というプレイヤーにサーバーを譲り渡しました。

fitは、新しいオーナーとして大きな改革を行い、新たな管理システムを導入したり、サーバーのルールを厳しくしたりしました。また、fitは自身のチームを作り、他のプレイヤーとの大規模な戦争を行ったり、建築のコンテストを開催したりするなど、2b2tに活気をもたらしました。

しかし、fitは統制の下に置かれることを好まず、この方針は多くのプレイヤーの反発を招きました。そのため、2012年には多くのプレイヤーがサーバーを去っていき、2b2tはまたもや衰退の危機を迎えました。

2013年には、新しいオーナーとなった”Housemaster”が再び管理を引き継ぎ、サーバーは復活しました。しかし、それでも2b2tは過疎化が進み、人口が減少する一方でした。

そして2015年、2b2tは再び大きな転機を迎えます。この年、プレイヤーの”Valiantiam”が”The Autumn”と呼ばれるグループを結成しました。このグループは、2b2tにおけるプレイヤー間のコンフリクトを解決し、コミュニティの再興を目指すことを掲げました。

Valiantiamは、サーバー内で多大な影響力を持つようになり、様々なプレイヤーの活動を統制するようになりました。また、The Autumnは新たなプレイヤーを歓迎するようになり、サーバー内の緊張感が和らぐこともありました。

このようにして、The Autumnによる統一された管理とコミュニティの再興により、2b2tは再び発展し始めました。そして、サーバーの人口が再び増加し、新しいプレイヤーや建築物がサーバーに導入されるようになりました。

しかし、この結束したコミュニティは長く続きませんでした。2016年、The Autumnは突如解散し、その後は他のグループやプレイヤーが次々と登場し、2b2tは再び利害が対立する集団に分裂しました。

しかし、ValiantiamによるThe Autumnの活動は、2b2tの歴史上重要な転機であり、サーバーにおいて劇的な変化をもたらした時期であったと言えます。

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